welcome!
海の小さな星
happy to see ya!

 海が生まれたのは、2001年4月14日の、雪のちらつく夜でした。
 もったいないくらい可愛い赤ちゃんでした。
 海のお母さんは日本人で、お父さんはイギリス人。
 お姉ちゃんの花も海も、生まれ育ちはカナダです。

 生まれてしばらくしてから発症しはじめたクラッベ病のために、お乳も飲みこめなくなって、笑うこともできなくなったけど、それでも一生懸命毎日生きていました。

 そして1歳7ヶ月の星の出ているきれいな朝、2002年12月9日、お家のクリスマスツリーのピカピカ光るライトを見ながら、お父さんとお母さんの腕の中で、最後の最後の息をしました

Two days old
生後2日目
 もう息をしなくなった腕の中の海は、やっぱりもったいないくらい可愛くて、吸引も酸素もチューブ栄養もお薬も、そんなの何もなかったかのように、年相応に元気な赤ちゃんのように見えました。
 最後の息をした瞬間、病気なんてふっと消えて無くなったかのように、安らかで、幸せそうで、嬉しくて嬉しくてたまらないような顔をしていました。

 海のあっという間だった人生を通じて、私たちを支えてくれた、世界中に散らばっている人たち、ありがとう。
 みんなの支えのお陰で、海は短かったけども、幸せに、結構いい人生を送ることができました。
 海の病気と、そして死に、涙を流し、胸を痛めてくれた人たち。
 この子の人生に触れたことは、あなたの喜びでもあったのだと信じています。

Big smile all around
満面の笑顔
 そしてわたしたちが一番感謝をしているのは、やっぱり海です。
 こんなちびっこが、小さな、か弱い身体で、生きるということの強さ、大切さを教えてくれました。
 海がうちの子に生まれてきてくれたのは、素晴らしい奇跡だなあと、宗教色のないわたしたちでも、敬虔な気持ちになります。
 こんなに不器用な身体で、一生懸命生きている姿を、海の親として、一日も欠かさず見つめてきました。
 海の病状が進んでいく様子をみながら、何度も何度も表現のできない痛みを感じてきました。
 でもいつもいつも、海の強さに、海の大きなきれいな瞳に、慰められ、力づけられて、やってきました。

 もうその瞳をみることも、暖かくて柔らかい身体を抱くこともできません。

 それはとてもとても哀しいことで、今でもひょこっと海が戻ってくることを望む気持ちがココロの中にしっかり居座っています。
 おばけでもいいんだけど・・・。

With my favorite sis
大好きなお姉ちゃんと
 でも海は、私たちの「これから」に生きつづけ、4月14日の誕生日ごとに少しずつ成長もしていくのだと思います。
 私たちの意志、決断、行動、これらはみんな海と一緒に生きた2年足らずの経験から形を成していくものだから。
 場所をかえ、形を変え、海は生きつづけていきます。

 花は毎日元気です。
 海の写真の前に供えるために朝ごはんをつくったり(バターの固まり・醤油・塩・レーズンをぐちゃぐちゃ混ぜる・・・)、保育園で海の絵を描いたり、知らない人にいきなり「私の弟が死んだんだよ」と元気に話しかけたり。
 花がいなかったら、私たちは今頃どうやって毎朝ベッドから起き上がっているのだろう、と思います。
 花ちゃん・海ちゃんありがとう。

 これからも、お父さんとお母さんのことよろしく・・・。


One Happy Family
家族で
ちぐさ 
サイモン

「海に咲く花たち」海の日記(2001年6月−2002年12月まで)

Kye Gair 2001-2002
Kye Gair 2001-2002