この7年間を振り返ると、楽しかった思い出とともに、辛かった事もたくさん思い出されます。

 自分の勉強不足から、何度も誤った選択をし、壁にぶつかってきました。
 特に、2年4ヶ月という長い入院期間中は、トオイにとって、肺炎の繰り返し、人工呼吸器装着、気管切開、在宅へのチャレンジ・・・と最も変化が大きく、大変な時期だったと思います。
 私にとっても、この入院期間中は、辛い事や悩みが多々ありました。
 病院スタッフを信頼出来ず、ギクシャクした関係に悩み、夫婦間でも考え方の違いを感じ、孤独を感じていた時もありました。
 でもそんな中で病気の子供を通じ、辛い気持ちをわかり合える友人達に出会うこともでき、暗く沈んだ気持ちを何度も励ましてもらいました。

 私はトオイが危篤状態になった時、人工呼吸器装着を選択しました。
 私はその時、「トオイに延命措置を施した責任をとらなければいけない。延長されたトオイの残りの人生を、少しでも多く、幸せを感じられる様、私が出来る限りのことをやってあげなくては!!」と決心したのです。
 しかし人工呼吸器を装着し、在宅になったものの、最初のうちは慣れないことばかりで、トオイの安全性を重視してしまい、本当に充実した日々を過ごしたとは言えなかったでしょう。


Cool!
Cool!
 その後、ストレッチャーを購入し外出したり、家族以外の人とのふれあい等、自分なりに、色々と試してきたのですが、トオイ自身が楽しく感じているのか自信が持てませんでした。

 そうしているうちに、昨年(2003年・春)養護学校に入学。
 私は病院不信のこともあり、学校教育に対しても、あまり期待を持つことが出来ませんでした。トオイはスクーリングが難しいので、週3回の訪問教育を受けることになりました。
 最初のうちは、事故が起きないか心配ばかりしていたのですが、そんな私の心配をよそに、トオイは初めて体験する多くの出来事に、さまざまな反応を示してくれました。
 私はトオイの反応に愕然としました。
 私は今まで、トオイのどこを見ていたんだろう・・・!!
 私は、こちら側から一方的にいろんな事を押し付け、「トオイは満足している」と勝手に思っていたのです。


Ho ho ho!
Ho ho ho!
 担任の先生はトオイに対し、いつもしっかりと向き合ってくれています。トオイのわずかな反応も見逃さず、その時トオイが何を感じ、考えているのかを常に探りながら、授業を進めてくれます。
 病院でのさまざまな検査では、悲観的な言葉しか聞くことができず、親の私でさえ、トオイは何もできないから・・・と心の奥で諦めていた気持ちを持っていたことに気付き、自分を恥ずかしく感じました。

 トオイは今、名前を呼ばれると、瞬きで返事をします。大好きな先生の、優しい声が聞こえると、すぐに表情が変わります。母の声と先生の声の違いもわかっています。
 また、週に1度しか会わない、ヘルパーさんや看護婦さんが来た時は「あれ?また違う声、誰だ?」って反応を示してくれます。
 発作が出そうな時は不快な顔になるし、何かは不明だが、嫌な時はブルブルと震えたりします。
 どれも、わずかな反応だけど、私はトオイからのアプローチだと信じています。


Happy Birthday!
ハッピーバースディ
 病気の進行は止まることはないけれど・・・
 トオイにはまだこんなに沢山の表現が残っている・・・。
 人工呼吸器装着に対し、「これで良かったのだろうか・・・?」と悩んだ時期もありましたが、今は大きな目標がいっぱい見えてきました。
 今はただ、これから先出会うであろう困難に立ち向かい、乗り越え、トオイのQuality Of Lifeを高めて行きたいと思っています。

 冬威へ・・・
 頼りない母だけど、これからも力を合わせて頑張っていこうね。
Kiyomi Imamura 2003年4月9日

―父の思いー

 とおいが生まれた時、俺は病院のかーちゃんのベッドで熟睡していた。
 始めてとおいと会った時は、「生まれて来てくれてありがとう」の一言に尽きる。

 それから数ヶ月経った頃、ずいぶん泣く子だなぁ〜とは思っていたけど、今思えばそれが病気の始まりだったのかもしれない。

 病気の始まりは、その時だったのかもしれないけど、俺の本当の意味での始まりは、やっぱり人工呼吸器装着の選択を、迫られた時だろう。
 あの時は、体調が急変して夜中に病院から電話があった。 病院に着くと、とおいは酸素ボックスの中で、看護士にバギングされていた。
 心拍もふらついていてサーチレーションも下がっていた。
 あの時は、「何でそこまでの状態になってから連絡するんだよ! これってどういう事? 何が起こったの?」 頭の中は、半ばパニック状態。
 気を落ち着かせるのに、数分かかった。
 家が近かった事もあり、連絡から10〜20分で病院に着いていた。
 もし、遠かったら・・・・・
 多分、選択する間もなく亡くなっていただろう。
 ぶっちゃけ、妻は呼吸器の装着を拒否した、呼吸器装着に踏み切ったのは、最終的には俺の独断に近い形だった。
 俺は助ける事が出来る選択肢が残っているのに、その選択肢を選ばないというのは、納得出来なかった。
 これに関しては、お国柄の医療制度や信仰などによっても変わってくると思うけど・・・・
 ただ俺は、いま目の前にいる息子を失いたくない。
 まだ、早すぎる・・・早すぎる・・・・
 この言葉が、頭の中で何度も何度も繰り返されてた。
 ただ、この呼吸器装着に関する俺の選択が、正しかったのか、間違っていたのか、という答えは一生出せないだろう。
 だけど、少なくとも正しかったと思えるように、今までも、そしてこれからの人生も頑張っていく。

Joy to the world
一家団欒
 呼吸器というと、ほとんどの人が生きていると言うよりも、生かされていると感じてるだろう。
 実際、医者も色々な検査結果を見ながら、とおいは半植物状態だと言う。
 でも違うんだよ!
 俺と妻の違いだって解ってるし、家族と他人との違いも解ってる。
 調子が良いと瞬きで返事だってするし、ウンチをすれば嫌な顔をして教えてくれる。
 そう、視力の弱い人がメガネをかけるのと同じ事だと思うんだよね。
 とおいは、呼吸が弱いだから呼吸器
 何も特別な事ではないんだよ。
 ・・・・う〜ん、俺がそう思いたいだけなのかもしれない。

(-_-;)
  まぁ、父の思いという事なんだけど・・・・
 とおいの入院中は、特に転院してからと、呼吸器を装着してからは、すっごく勉強したよ。
 今まで生きてきた中で、一番勉強したねぇ〜 医学書買いまくって、読みまくって、特に呼吸器の事を勉強したよ、看護に関して妻にはかなわないし、任せられる位良くやってくれてた・・・感謝感謝!


 そうすると、必然的に呼吸器など医療機器に関する事だけは、担当医や看護婦にも負けない位勉強・・・じゃないと、とても在宅にはなれなかっただろう。
 その辺の経緯は、また追って話す事にするよ。

 俺の好きな本の言葉なんだけど、

 「大事なのは、過去がどうだったかじゃなくて、
                   未来をどうするか」
 「人が歩みを止めるのは、
            絶望ではなく希望を失った時」


 仕事に行き詰った時や、家族や病院の事で悩んだ時は、この二つの言葉を思い出して自分に活を入れてます。
 なんか、まとまりのない文章になっちまったけど、 そうねぇ、とおいが居て、妻が居て、それでいい。

 そう、俺の元気の源はとおいと妻だね。
 どんな薬よりも良く効きます。
 最近は仕事が忙しくてなってきてるけど、出来るだけ家族との時間を大切にしていかなくちゃ
 
                             つづく

Takuya Imamura 2003年4月20日

時計

これまでの出来事
(別ウィンドウを開きます)

時計

とおいのKrabbe年表
(別ウィンドウを開きます)

出来事と、年表を見るには、アクロバットリーダー(無償配布)が必要です!
アクロバットリーダーは、バージョン4.0以上を推奨します。

PDFファイルのダウンロードや印刷に時間がかかる場合がありますので、ご了承ください。


※アクロバットリーダーをお持ちでない方はこちらへ→
(別ウィンドウを開きます)


お便りはこちらへ!

トップページへ(日本語)

Krabbe Children in Japan(英語版)
世界のクラッベ・キッズ(英語のみ)