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愛しい我が娘、 侑依のほっぺ |
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2002.02.27 AM0:08愛しい侑依は元気にうぶ声をあける。
体重2922g 身長47cm 胸囲32.5cm 頭囲33.8cmと安産で5日後退院する。 1ヶ月検診では体重3370g 身長49.4cm 胸囲33.8cm 頭囲35cmとあまり成長していなかったが、かわいい声で元気に泣いて、母乳を飲んでスヤスヤ寝ていた。 2ヶ月が経ち体重があまり増えていないことから、近くの小児科に相談に行く。 先生は「母乳をやまてミルクに変えてみてください」と、まだ、母乳は出ていたが仕方なしにミルクに変える。 すると、体重が増えてきてホッペもぷくぷくになる。 4月末からママの仕事復帰と同時にママの仕事場の保育所に通うようになる。 この頃のミルクは3時間置きに140〜160ccのんでいた。 |
![]() パパとママと
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3ヶ月頃はミルクに変えたことで体調も良く、保育園に元気に通っていた。
(侑依は新生児〜1歳までのお友達に女の子がいなくみんなからかわいがられていた) 4ヶ月で首がすわり、あやすと笑い、物に手を出すなど、目にとるように成長が見えた。 |
5ヶ月頃も寝返りは出来なかったが、笑う、声を出す、物に興味を示すなどは出来ていた。
保育園で後から生まれたお子さんが寝返りをしていたが、個人差もあると思いそんなには気にしていなかった。 この頃、手をぎゅっと握ったままで、自分から広げることがなく、家でも保育園でもグーパーグーパーと手を広げる体操をする様に心がけることで、治った。 保育所の先生も「赤ちゃんは手に力が入るからね」と。 それからは指も動き解決していた。 |
![]() お食い初め
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6月25日(5ヶ月)に離乳食を始める。すごく調子も良く5ヶ月検診では、体重5845g 身長59.5cmでした。
6ヶ月(8月)頃は、うつぶせにさせたら顔を上げず泣き、泣かず顔を上げたのは3回ほどで、個人差があると思って気にしなかった。 その頃のミルクは飲ましてもらう人によって量がちがった。急に顔を真っ赤にさせておお泣きし、あやしてもおさまらない。 笑うことも少なく、物に興味を示さない、と活気がなくなり、ベットに降ろすと泣き、抱っこするとウトウトし寝る、声(アーウー)と発言しない。 そんな事がつづき、夏の出来事で夏ばてかなぁ?と思っているとき、9月末に39度4分の熱を出し小児科へ。 風邪とのことで1週間で治ったが活気がもどらず、再度小児科へ相談に行く。 先生は「一度、設備の整っている病院で検査をしてもらったほうが」とのことで 紹介してもらった病院へ行く。 そこでは「検査入院を1週間〜2週間してみて調べてみましょう」と。 翌日から検査入院に入りました10月22日から。 検査は採血・動脈採血・眼底所見・脳波・聴性脳幹反応・末梢神経伝導速度・頭部MRI・と行ってもらい2週間の入院だった。 結果、頭部MRIで白質病変を認め、診断は脂質代謝異常(白質ジストロフィー)へと傾いた。 確実には血液を用いた酵素診断が必要であり、血液を大学病院へ送った。 1ヶ月後酵素の値がわかった。 リソゾーム酵素活性測定報告でGalactocerebrosidase活性が正常値の10分の1(0.18)しかなく、クラッベ病と診断された。 大学病院が皮膚線維芽細胞で再度、確認とのことで現在おねがいしている。 (この検査は細胞を増やして調べることから4〜6ヶ月かかるとの事) |
![]() 5ヶ月
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ここまでに2ヶ月かかったが、主治医の先生が代謝異常を疑い検査をすすめてくださったので2ヶ月で病名がハッキリした。
検査入院が終わった頃の愛する侑依は3ヶ月頃にもどっていた。離乳食は口に入れず、笑わず、物に反応なく、声を出さない、夜鳴き、ベットに降ろすと 泣く、ミルクも少ない。体重は6000gぐらいに。 家に帰ってきてミルクを1回200cc飲むようになり体重も増える。 離乳食は無理だが、好きなバナナ、イチゴを5〜6口食べることはできる。 (スプーンを口に持っていくと口をとざしてしまう) 現在はミルクは主食である。 成長はお座りを一人で出来た出来ないのころで止まった。寝返りもしなかっ た。 主治医から目の視力もなくなり、首もすわらなく、成長が後退していくと聞きその上、2歳まで生きれないなどを聞かされ、何か侑依に見せたく、東京ディズ二ーランドに行った。 侑依は寝ていることが多かったが起きている時はいろんな物をしっかり見ていた。 夜のパレードをしっかり見ていたのが印象に残っている。 この頃の写真はしっかりカメラを見ていた。11月18〜21日 |
![]() ディズニーランドにて
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2002.12.30に熱39度3分まで上がり入院!
せっかくの正月を病院で過ごすことに。 1月9日に退院するが、正月は過ぎていた。 侑依に悪いことをした。 この頃ミルクを飲むとき咽ることが多く主治医にチューブを進められたが、断った。 その後のミルクは1日600cc〜800ccを目標に頑張って、3月27日に診察を受けた。 私達はチューブを進められるだろうと思っていたが体重も200g増えて7800gでミルクも600cc飲んでいたらいい。 との事、病気は少しづつ進んでいるがこのまま様子を見ようと、うれしかった。 現在、目の視点は合わなくなってきた。 1歳の記念に写真屋で撮ってもらったが視点を合わすのに時間がかかった。 |
![]() 1歳誕生日
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侑依の病気を聞いた日は侑依を胸に抱いて帰りの車の中でおお泣きしていた。
パパが運転してたのでおばあちゃんが隣に乗っていた。 おばあちゃんは「パパは頑張って運転してるから、今だけ泣くのをこらえて」と言われ歯をくいしばり家に帰って来た。 とたんにおお泣き。 パパの胸でパパも・・・それから3日は泣いていた。 侑依を抱きながら。 その後インターネットで一緒の病気をもつお子さんの家族と出会う いっぱい勇気をもらい助かったが外に出て小さい子供を見ると「なんで・・侑依が」と思う。 この(なんで)が付きまとい、今も戦っている。 小林絢子。H15.04.01 |
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現在1歳3カ月の状態 1歳を迎え病気の進行は、嚥下の低下・視力の低下・足の裏をくすぐる事によって反応があったが、反応がうすれている、などあるが、成長もしっかりしている。 白い歯が下2本顔をだした。身長も7カ月頃の59.5cmから5cm伸び65.4cm。手足も大きくなり洋服が1サイズあがった。しゃべれないが泣く声が子供らしく、いとしい。 ミルクは今年の2月までは1回200cc飲むことが出来ていたが、現在は1回120cc〜160ccで1日600cc飲むのが限界である。体重の維持と脱水が心配である。 体温調節も自らできない。侑依が寝るときは上下に毛布をひいて寝た。(現在は暖かくなってきたので、足もとだけ小さい毛布をひいている。) 侑依はちゃんと成長もしているので、しっかり親として見守っていきたい。 ここまで、さまざまな出来事・悩み・出会いがあった。 その中でも、出会いが一番大きい!今までいろんな事を乗り越えてきたファミリーである。勇気と希望をたくさんいただきました。ありがとうございます。 侑依が成長する限り、物語はつづきます。 |
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2004年に入ってからの侑依たんの状態 侑依は2004.02。27満2歳を迎えることができた。 体重も1歳5ヶ月ごろは7600gをうろうろしていたが2歳を迎えた侑依は9000gあり、身長も半年前は66.5cmだったが78cmと大きく成長もした。 でも、病気(クラッベ病)も進行・・・ 去年の12月に体調を崩し、2ヶ月の入院生活。 その時にこれから侑依が抱える無呼吸が悪化。(呼吸を止める秒数が伸びた) それまでは、抱っこしていて、時より「あれ?呼吸を止めているなぁ〜」とは思っていたが10秒ぐらいで問題にしていなかった。 2ヶ月の入院から我が家に帰ってきたときには、酸素と体内の酸素飽和度を測るサチュレーションが侑依には必要になっていた。 2ヶ月の入院中に、胃からの逆流もわかり、胃ろうにするか、十二指腸チューブにするかの選択をしなくてはならなかった。 パパと長い時間考えた・・・結果は十二指腸チューブを選択。 この選択が正しかったのかはわからない。 侑依にママの夢の中でもいいから、侑依の思いを聞きたい・・・ なんでも、選択はパパとママになる。侑依はどう思っているのだろう。 十二指腸チューブの交換は長ければ半年変えなくても良いと言うことだったが、我が家に帰ってきて、1ヶ月で薬をつまらし交換。また、チューブを引っ掛けて、鼻からチューブが数センチ飛びだし交換など、半年の間に4回の交換をした。 |
2004.06.16気管支炎で入院。 入院から数日で左肺が無気肺になってしまった・・・ 次の日から、呼吸リハビリの先生と一緒に肺に詰まった物を押し出す、リハビリが始まった。 吸引しても鼻水ばかりで、「これ」と思う物が引けない日々がつづいたが、06月末には肺がきれいになった。 この気管支炎で頑張っている間も、無呼吸はあった・・・ 酸素飽和度が一桁になった事もあったが、アンビューで空気を送る。 でも、体調が復活した侑依たんの無呼吸は最低でも酸素飽和度60%までになった。 2004.07.06退院 |
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2004.09.15再び気管支炎で入院。 肺は数日できれいになり、2.3日様子を見ていたが無呼吸がひどくならず少し心拍が高く感じたが09.23に退院した。 翌日に心拍130〜150台と上がり、発熱はなかったが活気がなく、 様子を見ていると、深夜に無呼吸を起こし、酸素飽和度を急激に下げ、 心拍も50台〜30台と下げ、アンビューを使う。 10分に1回ぐらいのペースで無呼吸を起こし、救急車で病院へ。 病院でも状態は変わらず、アンビューで空気を送るのを繰り返した。 血液検査で体内にウィルスもなく、発熱もなく、無呼吸の悪化との診察。 それから、無呼吸との戦いに1ヶ月。 酸素飽和度を測っているのは、足の指と言うこともあるが、無呼吸で0%を示した事もしばしばあったが、侑依はがんばった。無呼吸との戦いに勝った。 2004.10.22退院。 |
退院してすぐだが、以前から「行く!」と決めていた東京ディズニーランドにお友達の家族と2泊3日の楽しい旅行が出来た。 2004.10.30〜11.01 主治医の先生も「行ってきてもいいよ!」と何かあった時の為に侑依の現在の状態を書いた紹介状をくださった。 紹介状は使う事はなかったが、東京からの帰り、侑依の状態に変化があり、我が家に帰らず、いつもお世話になっている病院へ車を走らせた。 |
2004.11.02〜11.18 病院につき、血液検査と胸部レントゲンを撮る。 血液検査でCRP1.5・・・レントゲンは右肺が少し白く、外気の何らかのウィルスだろう。との診察で入院が決まる。 病室に移るが気が抜けない状態・・・無呼吸を起こし酸素飽和度0%まで落ちる。 アンビューで空気を送り呼吸を促す。 この頃の心拍はいつもより高く150台。バクバク言っている・・・ BI-PAPも使用するが、侑依が呼吸をピッタと止めていると、BI-PAPの空気も入らず、アンビューで圧す。 ある日、自発呼吸なくアンビューで空気を送り、ふと時計を見ると1時間アンビューで自発呼吸を促していた日もあった。 無呼吸で酸素飽和度10%20%台がつづいた日もあったが 無呼吸と戦ったのは1週間ぐらいで、その後は体調が改善し、体調を万全にして退院した。 |
日本では2004年に3歳・7歳を迎える女の子は11月に七五三と言う成長を祝う行事があり、我が家の侑依も祝う事にした。 侑依の病気が確定した時は、この3歳の晴れ姿を見れるとは思っておらず・・・ すばらしい一日になった。 2005年! 侑依は初めて正月を我が家で過ごし、現在もがんばっている。 無呼吸は日により回数や呼吸を止めている秒数にはばらつきがあるが、元気に過ごしている。 侑依にはたくさんの友達が居ている。 パパもママもどれだけ助けていただいているか・・・ 言葉には出来ない。 2005年も、侑依ファミリーはがんばります。 |
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